平成31年2月3日 大日本茶道学会郡山支部創立八十周年記念講演会にて、「利休の茶を天下仕置から見直す」と題して、市民の方々もお迎えして講演を行いました。
「天下仕置」とは、関白秀吉の天下統一政策を便宜的に名づけたものです。天下統一という政治的次元と見直して、1)茶道具の政治性、2)「御茶湯御政道」、3)利休の側近としての位置を指摘。
1)茶道具の政治性
茶道具が固有名を持つことから、個別の由来がたどれるようになった結果、旧蔵者による威信の付与のみならず、征服、服従、承認と言った政治的な意味が茶道具に移動に際して与えられるようになったことを、初花肩衝茶入を例にして説明。
2)「御茶湯御政道」
信長時代に茶道が許可制であったことの名称として使われる「御茶湯御政道」に関して、その言葉は、信長没後の秀吉書簡に、秀吉が自分に都合よく過去を回想する形で使われていることを指摘しました。具体的には、信長が実際に統制できた茶湯開催は、信長の茶会に奉仕する堺の茶人たちを自分の茶会でも茶堂として使う場合に限られるのではないか、むしろ、秀吉時代に、茶道具の移動に際しての政治的意味がより強化されたのではないかと考えます。さらに、信長時代と秀吉時代の違いは、堺奉行の松井友閑という茶会を執り行える配下が、有無が大きいのではないか、利休は、友閑の役割をも務める形になったのではいかとの見通しを述べた。
3)利休の側近としての位置
細川幽斎と連署した島津家家臣宛書状を読み解く形で、利休が秀吉の内意の代弁者としてふるまっている点を指摘。
利休に関しては、茶人は、茶道に関する事績の中から、自分たちの茶道の手本にすべきものは何かという観点から考えざるをえません。しかし、時には、視点をかえてみるのも必要かと、「見直し」と名付けた理由を述べて結びとした。