岡倉天心の『茶の本』が、出版されてから120年になります。100年の年には、天心の命日の9月2日に、ワタリウム美術館と共催して「岡倉天心国際シンポジウム 『茶の本』の100年」を行ないました。
『茶の本』の現代的意義を性急に指摘するよりも、1906年という執筆時点の文脈に立ち返って天心の主張を読みとろうと向き合ってきたところです。
しかし、出版120年を迎えた今年は、現代から『茶の本』を読む必要を強く感じています。
第一章「The cup of humanity」は、「人情の碗」と訳される場合が多いのですが、拙訳では、「人間性を盛る一碗」としています。「人情」と訳したら、ヒューマニティを白人のキリスト教徒にしか認めない当時の偏見と格闘した天心の孤独な戦いが伝えられないと思ったからです。
現在では、ヒューマニティが特定の人種や宗教に独占されていると主張すること自体が、非常識な偏見とみなされる時代になりました。
岡倉天心は、西洋も東洋で生まれた茶を愛好していると指摘することで、「人間性」は、洋の東西を問わずに論ずべき、とたしなめる格好のテーマとして茶を取り上げたのです。
人間は、人間ならざる存在との比較によって、人間らしさを考えてきました。西洋では、人間を動物から分かつものを「知性」とし、それを至上とした結果、ついに人間の知性を超えるような生成AIを登場させるに至りました。
人間性の根拠であった知性が生成AIによって凌駕されんとする今日、人間らしさが問い直され、人間に出来て生成AIに出来ないことことは何かの議論が始まっています。
生成AIを生み出す西洋的な人間観を天心が問い直していたと考えて『茶の本』を読み直すのも120年にふさわしいことだと考えています。