大日本茶道学会 - 公益財団法人三徳庵

令和8年2月:茶道人

 父仙翁は、「茶人」よりも「茶道人」という言葉を好んで使っていました。

仙樵居士が「よっぽど茶人じゃなあ!」と茶人が変人に近い意味で嘲笑的に使われる例を引いて、茶人も社会的な関心の必要を説いていること(「茶人は世捨人にあらず」『茶道改良論』)から、「茶人」の否定的なニュアンスを払拭したかったのでしょう。

「茶道人」に、茶を自身の生き方と重ねていくこと求めているのは、残された著作のタイトルからもうかがわれます。『茶を学ぶ人のために』、『茶の道を受け継ぐ』、『茶の美と生きる』は、明確ですが、『茶道端言』はどうだろう、と思って久しぶりに書棚から取り出してみました。カバーは次の一節が目立つようにレアウトされています。

作法や知識は、年数をかければ大体を身につけることができるが、茶道人としての高邁な人格はなかなか会得し難い。“茶の心”といってもとめられるのは、実はこのあたりにあるのではないか、としてまとめたのが本書である。

『茶道端言』が出版された1982年、私は大学を出たばかりでした。当時の私には、茶道を通じて高邁な人格をめざす、などと掲げると私を筆頭にそうでない実例がやり玉に挙げられて批判されそうで、つい敬遠してしまったような気もします。

しかし、当時時54歳の父の年齢を、一回り以上超えてしまった今では、敬遠というわけにはいきません。どれだけ人格が磨かれたのかは怪しい限りですが、「高邁な人格が身についていないからこそ、人格を磨こうと努力しているのです。」と開き直る図々しさは身についたようです。

茶道を学ぶことが、自分たちの生き方を本当の意味で高めることになっているか、常に自問しつづけることが大切です。

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