大日本茶道学会 - 公益財団法人三徳庵

令和7年11月の言葉:水槽の中の脳

「冷え枯れる」などの感覚を自分が十分受け止めているかという反省は必要ですが、行きすぎも困りものです。行き過ぎとは、自分の体験が現実なのだろうか、とまで考えすぎることです。

この懐疑は、古くは荘子の胡蝶の夢や、プラトンの洞窟の比喩にまで遡ることができるかもしれませんが、現代哲学では「水槽の脳」という思考実験がよく知られています。

あなたは、水槽の培養液の中に浮かんでいる脳で、あなたの体験していることは、高性能のコンピュータからヴァーチャル・リアリティを構成する電気信号が送られていて、それがあなたの人生のすべてなのですと言われたときに、有効な反論ができるかという問いかけです。

映画の素材にされたこともあり、多くの哲学者をいまだに悩ませている難問ですが、この問いかけの背後には、人間が人間たる所以は、高度の認知・判断機能にあるという人間観が潜んでいたようです。

人類は、この人間観にもとづいて、コンピュータを生み出して進化させていきAIを生み出しました。しかし、AIの発展が人間の知能を超す未来が語られる現在、私たちが、長い間、人間だけができると考えてきた高度な知的な処理能力を、人間らしさの特徴として誇ることができなくなる時代に入っていたようです。

未来に向けては、あらゆることが自動化し、AIが担うことになったときに、最終的に人間に残される喜びは何なんだろう、という問いかけを生み出しています。

自分の身体で、何かできる、何か感じるということを、喜びにできるのではないか、と考えたときには、自らの点前をして身体に向き合うことが、見直される時代が目の前に来ているのではないかと考えるのは、「水槽の脳」の絵空事でしょうか?

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