『古今集』の巻頭歌
年のうちに 春は来にけり ひととせを
去年とやいはむ 今年とやいはむ
この歌は、旧暦では、元旦を待たずに立春となる年内立春を素材にしています。年もあけないうちに春が来たので、この一年を、もう「立春」となったのだから「去年」と言うべきなのか、いやいやまだ「年内」なのだから今年と言うべきなのか。
この詮索の理が勝ちすぎているという印象は、理屈っぽい私でも認めざるを得ません。正岡子規は、「実に呆れかえった無趣味の歌」と、『古今集』を「くだらぬ」と断定する材料にしました(「再び歌よみに与ふる書」)。
しかし、季節の運行も為政者の徳と考えられていた時代です。年が明けるのも待ちきれずに、春のほうから勇んで駆けつけてくれた結果の年内立春は、当代の帝の徳の高さの結果と解釈できると言います。
御代を言祝ぐ歌だから『古今集』の巻頭を飾るにふさわしい歌であるということは、子規もわかっていたのかもしれませんが、彼には短歌を西洋の「文学」に匹敵するものと位置づけることが重要でした。
明治政府が、西洋と同じ太陽暦を採用して以来、「年内立春」はありません。正月でなく2月に立春がくるのをあたりまえのこととして受け止めています。
「立春」に年が改まるという意識を持たせたくなっているこの頃です。
しかし、師走からバタバタと過ごしているといつの間にか新年の行事に追われてしまい。今年こそは、こんなことをと思った目標も後回しになりがちです。そんなときに、「立春」で新しい年が来たと思って、目標を挽回していこうと思うのは私だけでしょうか。