日本への喫茶法の伝来は、一般に、煎茶法、点茶法、淹茶法の三段階として語られます。しかし、明治以降、紅茶が入ってきたことを受け止めて四段階として考えた方がよいのではないか、と考えるようになりました。
緑茶と紅茶は、どちらもお湯に入れて茶葉から溶液を浸出させてできるとはいえ、別のものだからです。
どうしていままで、煎茶、点茶、淹茶の三段階ということに固執していたのだろうか、ということが気になりました。三段階に固執した理由は、岡倉天心が『茶の本』で、茶の発展を三段階にわけて論じたからです。岡倉天心は、煮る茶、泡立てる茶、浸出させる茶、の三つの段階に区分して、唐、宋、明の各王朝の特徴を反映しているとして、茶の古典派、ロマン派、自然派という分類を提示しています。
茶の歴史を語る時に、無意識にこの天心の図式に縛られていたのではないかと思います。
天心の図式に従えば、日本の煎茶も、紅茶も、浸出させる茶に入ってしまいます。そこで、三度の喫茶法の伝来という言い方をしていました。
ところが、日本は当時の先進文明から、その地の喫茶法を取り入れた、という説明を試みると、唐、宋、明に加えて、近代になって西洋を先進文明として、その喫茶法を取り入れたという説明をすることで今日につながります。
天心は、西洋は、喫茶の三段階の内の最後の段階しか知らない、と日本の喫茶の厚みを強調していたのではないでしょうか。
世界の喫茶を区分するという視点では、お茶と湯が混ざる時点に注目した天心の分類は画期的でした。
しかし、日本の喫茶の歴史は、抹茶を飲んだ歴史としてだけでなく、明治以降の「喫茶店」で供されたものを含めて、考えなければなりません。