山も庭も動きいるるや夏座敷
暑くなるほど、窓を閉めてクーラーに頼って過ごすようになった今日、芭蕉のこの句を味わうには、湿気の多い夏に備えて間口をとり、夏になれば、障子や襖を取り払って簾をつった日本家屋の情景を思い浮かべていただく必要があるかもしれません。
奥の細道の旅の途中、那須黒羽で、読んだ歌です。
ここでは、座敷の主と芭蕉は、俳諧を楽しんだのですが、そのときの発句として、次のように詠んでいます。
山も庭に動きいるるや夏座敷
芭蕉が、「庭も」ではなく、「庭に」としたのは、向うにみえる山の景色と、それに映える庭の見事さをたたえることで、主人への挨拶の気分があったのかもしれません。俳句の世界で挨拶といえば、相手の気持ちに沿った対応をすることです。人と人とが気持ちよく生活していくために不可欠な配慮です。
さて、句集に収める時に芭蕉は、その句を推敲して、「庭も」としました。
山も庭も動きいるるや夏座敷
「山も庭も」とすることで、家の外と内側の区別がなくなります。
現代だと、テレビの大画面に外の景色が映し出されて、部屋の中にいながら、その場所にいるような気分になるという感じと申し上げたら良いでしょうか。
なにかと制約の多いこの夏は、この句を共にして、気分を盛り上げていきたいものです。