大正2年(1913)9月2日に、岡倉天心が亡くなってから、今年で110年となります。
『茶の本』の中で、岡倉天心が、茶道(ティーイズム)が哲学であることを示すために、道家思想(タオイズム)、禅道(ゼニズム)に淵源を持つことを示したことによって、茶と禅の結びつきは、国際的に知られるようになりました。
また、命をかけるに値する信念体系であることを示すために、千利休が最後の茶会を行い、自死を遂げ、辞世で結ばれる本書の構成は、その後の利休のイメージ形成に決定的な役割を果たしたといって過言ではありません。
『茶の本』との長い付き合いは、大学二年生の時、今道友信先生の美学概論のレポート課題に選んだときから始まります。その講義を一緒に聞いていた小田部胤久さんに、講演を依頼したら、「「東洋の美学」は、いかにして可能か―岡倉覚三の場合」という講演をしてくれました。
「東洋の美学者は西洋とのその都度の出会いを介して東洋の伝統的思想を再編成しつつ、東洋の美学を(再)形成し、そのことをとおして西洋の美学者に対して、西洋的美学とは異なる美学の方向を示してきた」
と結論される「東洋の美学者」の先頭に岡倉天心が、位置づけられた講演と理解しました。
現代の世界に支配的な位置を占めている西洋的な概念に寄り添って思想をしながらも、それに収まりきらないものを切り捨ててしまうのではなく、収まらないものの正体をはっきりさせようと苦闘する過程で、支配的な概念の限界を見抜いて指摘できた姿勢こそ天心から学ぶものと受け止めれば、天心は、茶人や美学者だけではなく、現在の厳しい国際情勢に生きる日本人すべてに、大切な思想家ではないかと考えています。