日差しに、少しづつ暖かさを感じるたびに、季節が気持ちを前向きにいざないます。
令和2年の緊急事態宣言以来、昨年までは、春先に「まん延防止等重点措置」がかかっていたので、春になって活動したいという気持ちを、3年間どこかで抑えつけていたような気がしています。
運動のために積極的に散歩はしなければと考え、実行したのですから、花見の散歩をした時間と距離は、増えているはずです。しかし、その分満足度が高かったとはとても言えないと感じています。
その原因は明らかです。一人で花見をしていたのでは、みごとな花に出会った喜びを分かち会うことができなかったためです。
みごとな花に出会ったときには、「あれを見て」と思わずつぶやきたくなりますが、それは、その見事さを確認しあう相手を求めてのことです。私たちの喜びは、人と分かち合ってこそ、喜びとして輝くということを確認させられたように感じています。
美術品を見ても、その場で気づいた感想をうっかり語り合おうとしたならば、係員に静かにしてくださいと、注意される状況が続きました。
その場で、その良さをともに語り合ったからこそ、発見の喜びが倍加するものであったということも、改めて認識させられたものです。
感染を恐れるあまり、「わかち合う」ことを必要以上に抑圧してしまったのではないか、と反省するともに、他人の存在が自身の喜びの源泉であることを再認識して、これからの行動に生かしてまいりましょう。
茶席でも、発見の喜びを連客と「わかち合う」という気持ちをもって実践していきたいものです。