父の七回忌を迎えた五月三一日には、本部教授とともに七回忌法要を行いました。十月一日には、仙樵忌と重ね合わせる形で、七回忌法要・献茶を執行し講話を行います。曾祖父から父が受け継いでいったものは何かを見直し伝えることが大切だと考えたからです。
曾祖父の号の「樵」の由来について、父は次のように書き残しています。
「明の洪自誠の語録の中に、「市人に交わるは、山翁を友にするに如かず。朱門に謁するは、白屋に親しむに如かず、街談巷語を聞くは、樵歌牧詠を聞くに如かず」という言葉がある。町中の抜け目のない人と交わるよりは、山中に住む老人を友達にする方がよい。高官に近づくよりは、粗末な家に住む人達と親しくする方がよく、つまらぬ町のうわさ話に耳を傾けるよりは、田舎の樵や牧人の歌を聞いた方がよい、といった意味であろうか。
仙樵という号も、恐らく、そうした含みでつけられたと思われる。」(『茶の美と生きる』里文出版)
「樵歌牧詠を聞くに如かず」が、「樵」の由来になっていることを述べているだけですが、「市人に交わるは、山翁を友にするに如かず」から引用を始めたのは、「翁」の由来もここにあると父は気が付いてほしかったのでしょう。
「明の洪自誠の語録」とは、『菜根譚』を指します。
菜根は堅くて筋が多いので、これをよくかみしめることができるのは、ものの深意を味わう人物であるとの意味がこめられた書名です。奥に託されたメッセージをしっかりと読み取ってもらう形で真意を伝えたいと考えて表現するのが父の文章作法です。
昨年の仙樵忌で献茶奉仕を無事つとめた仙揚には、宗牧との宗号も授与しました。「牧」は「樵歌牧詠」に由来します。大日本茶道学会では表に出す機会は少ない宗号ですが、曾祖父から父に託された理想に連なるようにとの願いを込めました。