「茶裡飯裡、別所に向かわず」との上級生の発声につづいて、「いただきます」の声とともに食事を始めるのが、第一東京市立中学の習慣であったことを在校生の回想文から知りました。
第一東京市立中学は、後の都立九段中学、現在の都立九段高校の前進に当たります。飯田橋にある母校暁星学園の近くなので、九段高校の出身と聞くと近所で学生時代を過ごした人として親近感を覚えていました。前進が東京市立のナンバースクールであったことを遅まきながら知りってこれまで不覚であったと感じました。
しかし、それ以上に不覚と感じたのは、「茶裡飯裡」という、いままでの茶席で見かけても良さそうな言葉になじみがなかったことです。手元の茶人向けの禅語辞典を引いても項目が立てられていません。曹洞宗の問答で使われる言葉だから茶席の禅語としてはなじみがないのかと思いつつ、回想者が、沢庵禅師の『太阿記』にも出てくるという言葉に導かれて、『太阿記』を探してみました。
這箇を得んと欲すれば、行住坐臥、語裡黙裡、茶裡飯裡、工夫を怠らず、急に眼を着けて、極め去り、窮め来って、直ちに見るべし。
這箇とは、「これのこと」と言うことで、剣術書である『太阿記』の文脈では、剣を自由自在に操ることになりますが、「自分たちが求めていること」と広く考えたいと思います。それを得るためには、日常生活で、話しているときも黙っているときも、茶を飲むときも飯を食べるときも、怠ることなく工夫することを意識し続けなければならない、と説いているわけです。
活動をこれまで通りにと戻していこうとすると、しばらく怠けていたことを感じされられていた時でもあったので、「茶裡飯裡」という一喝が、胸に響いたようです。