「ウクライナからの日本にいらしている方に、抹茶をさしあげるのです。楽しみです」
というメールをいただきました。
はじめての抹茶体験なのか、飲んだことがある方なのかしらと、私がもてなすわけでもないのに、
気に入っていただけたのかしらと、結果を知りたくてしかたがありません。
いかがでしたか?喜んでいただけましたか?と連絡をさし上げて返ってきた言葉が
「いろいろな小さなことに感動してくださるのに驚きました。」の一声。
どうやら、茶碗に仕込んだ茶筅や茶巾を取り出すだけでも、出てくる道具や動きが珍しくて
ワクワク。また、茶筅が男性が使うシェービングブラシに似ていると興味深々。
抹茶を点てると「お茶なのに濁っている」とのブーイング。
湯を入れて抽出するお茶ではなく、粉と湯を合わせたものだから濁るのだと説明しても
濁った茶は見たことがないので、「お茶ではない」と召し上がろうとせず、仕方がなく
茶碗の底が透けて見えるくらい薄い抹茶を点てたら、「Good!」と喜ばれたというのです。
このお話を聞いて気づいたことが2つありました。一つは、抹茶や茶道に対してのイメージは
いろいろなので、決まりきったものとして押し付けずに、茶道を感じたままに受け止めて
いただけるように説明していくことが大切ということと、茶道を嗜んでいる私たちが、道具が
取り出されている動きや、物の形に対して、所作から読み取れる意味などに興味を持って
いなかったことに気づかされました。
子供たちに伝える時にも、その素朴な印象に気づきを与えられることが多いのですが、
私たちが所作するたびに何かに気づこうと興味を持って接する心を失ってしまっては、
本来の茶道の楽しみや広がりは伝わらなくなってしまうのだと感じたことです。
童心にかえって素直に受け止める心を持ち続けることが大切だと感じました。