大日本茶道学会

【茶道コラム】第41回「目に見える景色」を追加しました

友人と出かけ、良い景色に出合い思わず「見て。綺麗よ」と声を上げ、一緒に目の前の風景を
見たとしましょう。同じ景色を見ていると思われますか?
 前に広がる景色は同じでも、その中で興味を持ち、焦点を当てるところには違いがあると
思います。ある一点に注視する人や、全体を受け止める人。つまり、同じ場所に立ち、目の前に
ある景色を見たとしても、10人いればその人数分だけ映し出される景色には相違が出てくるのが
普通のことでしょう。
 ですから、人が見ているものと、自分が見えているものが同じだと考えてしまうと、人との違い
を受け入れにくく、人の器は小さなものになってしまうのではないかということを感じています。
 茶席に入り、床の間の掛物や花を拝見するときも、みな同じように見ているのでしょうか。
 同じではないはずです。掛物の語句や用いられている花や花入はもちろん変わりませんが、
そこから感じ取れるものは、人それぞれのはずです。
 それらを見て、花から季節を感じたり、掛物と花の調和を読み取ったり、設えをした亭主の心入れを
感じる人や、昔を懐かしく思い出す人、どのような趣向なのかと想像するひとなどさまざまなはずです。
 つまり、床の間を拝見するというのは、ただそのものを見るだけではなく、それから伝わる何かを
感じ取って、自分に落とし込み心に留めるという行為なのではないでしょうか。
 そのような行為となる前提として、日本の豊かな四季の推移を味わう季節感、茶席という場所の持つ
趣、掛物を掛け、花を入れるという形式が出来てきた理由とそれに伴う器の変化、日本人と焼物の
長い付き合いを知っていてはじめて、その日の掛物を選び、茶味のある花を選ぶということにたどり
着くのです。
 茶席ではなく、家に畳の部屋がなくなり、床の間も見たことのない日本人が増え、茶室に入って茶を
一杯喫することの趣を感じたことのない人たちにも、そこで感じ取れる魅力があることが伝えられるのが
茶を学ぶということだと思います。
 海外に出て、日本のことを一番知らないのは日本人だと感じることがよくあります。日本人の良さや知恵、
思いやり、はたらきということも生産性に置き換えると儚いものになってしまいますが、日本がミステリアスな
国として東の方に位置できたのは、そんな私たちの祖先の知恵とはたらきのおかげだと感じます。
 茶席の中で道具やものをどのように見ればよいではなく、ご自身にはどのように見え、どのように感じら
れるのかということを大切にしていただけたら、また、少し茶との関りが広がってくると思います。

                                        教場長 田中 仙融

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