横浜・上瀬谷で来年開催される国際園芸博覧会は、上瀬谷通信施設として米軍に接収されていた跡地で開催されます。
会場へのシャトルバスの発着駅の一つ相鉄本線の三ツ境駅には、白姫神社があります。明治42年(1909)11月に伊勢神宮、外宮の衣の神を奉戴し、その御神体を蚕の神として祀りました。
実は、この神社は、昭和32年に三ツ境の地に遷座しており、理由は、養蚕業の衰退による人口密集地の移動によるものでした。神社があった三ツ境の南にも、園芸博の会場となる上瀬谷にも、桑畑が広がり、養蚕業の盛んな場所でした。
数寄者の原三渓が、婿入りした原家は、五家で横浜の生糸取扱量の74パーセントを占めた生糸商。上瀬谷地区を含めた地元の桑畑の桑で育った蚕も、原たち生糸商を支えていたことを、富岡製糸工場を中心とした製糸家としての側面がクローズアップされる中で、見落としていたことにまたしても気がつかされました。
園芸博覧会の会場のあたりの桑畑で育てられた蚕からできた生糸も、山梨から八王子を通り横浜港につづく絹の道を通って、世界に広がっていたわけです。桑と茶のつながりは日本美術や茶の湯のパトロンとしても知られる原三渓にはじまったことではありません。
栄西の『喫茶養生記』の別名が「茶桑経」なのは、後半が桑を扱っているからです。糖尿病、中風、食欲不振、皮膚病、脚気のすべてに効く桑樹は、「過去諸仏の成道の霊木なればなり」と記されています。桑畑が減った現状を栄西禅師が知ったら、「前半だけしか読んでいないのか」と怒られそうです。
国際園芸博覧会の地にかつて広がった「桑」から、絹と茶の文化とのつながりをもう一度みつめ直す機会にしたいと思います。