「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
厳しい暑さが続くと、松尾芭蕉が立石寺で詠んだこの名句を思い浮かべます。
都会で鳴いている一匹の蝉の声でも、音量としては決して「静か」なものではありません。「騒音」といった方がいいくらいです。
しかし、「閑さや」と芭蕉に一呼吸おかれると、聞き取ろうとする対象が切り替わってしまいます。「蝉の声」と結びながら、芭蕉が耳を傾けているのは、山寺の鬱蒼とした森の静けさです。
句に引きずられて、蝉の声から、意識が周囲に切り替わるからでしょうか。蝉の声を聞いてこの句を思い浮かべたときには、蝉の声をうるさく感じません。いや、蝉の音をうるさいと思ったから、この句を思い浮かべて、蝉の声をうるさいと思う気持ちを遠ざけているのかも知れないと思えてきました。
もっとも、芭蕉が聞いたのは、ニイニイゼミとされています。ニイニイゼミの「チィーーー」という高く澄んだ音程の鳴き声が、長くつづくのを聞いてみると、蝉の音が「岩に染み入っていく」感じがします。
しかし、東京で主に聞こえるのは、「ジリジリ……」と鳴くアブラゼミ。「蝉の声」といっても大分違うから、ずれた解釈をしてしまっているのかと危惧しますが、芭蕉が耳を傾けているのは、蝉の声をきっかけにした周囲の静寂さと自分の内面と考えれば、蝉の種類にはこだわらないでおきましょう。蝉が鳴くのは、雄が雌に求愛するためで、どの蝉が鳴いても人間には、求愛のメッセージとしては届かないのですから。
騒音の中から静寂を導き出してくる、人間の感性の決して論理的とは言えない働きを、蝉たちはどう思っていることでしょうか。人間は、そんな感性が働いたときに、心の安らぎを感じているようです。