天正13年12月21日 小早川隆景と吉川元長は毛利家の名代として上坂し、豊臣秀吉から「総金の御小座敷」を見せられます。翌年の正月に禁中に持ち込んで使われる、いわゆる黄金の茶室のことです。
黄金の茶室の広さが記されていることから、黄金の茶室の記載に関心が集まりますが、両名は、翌22日に秀長、23日には秀吉の茶会に招かれています。翌年1月16日、黄金の茶室を持ち込んでの、正親町天皇への献茶は終えても、黄金の茶室の出番は終わっていません。4月5日に上坂した大友宗麟、6月14日上坂した上杉景勝も、黄金の茶室を見せてもらっています
。
上杉景勝の時は、利休が点前をして、金の天目で茶を飲ませてもらっています。さらに、日を改めて6月16日の朝には秀吉の点前で、夜には秀長の点前で、もてなされていました。上杉景勝にしてみれば、豊臣兄弟に朝と晩に茶会に呼ばれ、それぞれから直接点前をしてもらったことの方が、利休に茶を点ててもらったことよりも、重要だったでしょう。
千利休について、調べていた時には、利休の姿を確認できたら、安心して秀吉兄弟の茶会は見落としてしまったようです。
学生時代、構造機能主義社会学で一時代を画していたアメリカの社会学者タルコット・パーソンズは、理論の役割をサーチライトに例えていたことを思い出しました。私たちの関心は、対象に光を当てて対象の姿を照らし出しますが、ライトの光の横は闇になり、そこにあるものを隠してしまうという側面もあるわけです。
来年は、大河ドラマのタイトルにならって「豊臣兄弟」に光を当てることで、茶道が広まった時代の茶の姿をあらためて見直し、これからの茶道の糧としていきたいと思います。