コロナがあけて久しぶりに友人宅に招かれました。卓を囲んで手料理を味わえるなんて
素晴らしい時間ではないでしょうか。
日ごろ茶道で培った、相手のもてなしの心を汲み取り、受け止めて相対する気持ちを
存分に表すことができる機会と、ひそかに自分自身に期待しておりました。
友人宅を訪れ、玄関のドアが開き、招き入れられると、出迎えた友人が懐かしく、たく
さん話したいことがあり話が止まりません。
食卓に場所を移しても、この数年のブランクは、玉手箱を開いたかのように次々と話題が
飛び出してきて、手料理が並び、勧められても話に夢中です。
「冷めないうちに召し上がって」「お味はどう」「今日は時間がたっぷりあるのだから、
話しはゆっくりと」
と諭され、はっと我に返ったように思いました。
今日は友人のもてなしを受け止めて、楽しもうと思ってきたはずなのに・・・。
自分が話すことばかりに夢中で、部屋の飾りつけやを楽しみ、食事の取り合わせ、ましてやそれを
ゆっくりと味わうことも忘れていたようで、友人に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
ふと、茶席でのことに当てはめて思い返すと、道具のことを伺ったり、挨拶をすることに気を
とられて、用意された季節の菓子、点ててくださった茶、そしてその茶碗を愛で味わっているの
でしょうかと、反省の気持ちでいっぱいになりました。
出された茶碗と手に取り、慎んでその茶を頂けることに感謝するように、そして味わって挨拶を
と伝えらえた言葉を、もう一度大切にしていきたいなと思い直しました。