ソーシャルディスタンスを取りましょう。という言葉にみなさんも慣れていらしたと思います。
茶に親しんでいらした皆さんにとっては、連客との距離、道具との距離などと常に距離感を大切
にしていらしたので、あまり苦にはならなかったかと思います。
その一方で、スマートフォンを使ったり、外に出かける機会が減り、家で一人で過ごす時間が
増えると視野は極端に狭くなっているのではないでしょうか。
「道具に目を付けて」との指導を受けている成果(?)なのでしょうか、点前の中でも、扱って
いる道具を凝視してしまい、周りに並べてある諸道具は視界からは、外れてしまっている姿を多く
拝見するようになりました。
本来距離を取るということは、人と人であればお互いに過ごすために必要な快い空間であったり、
道具であれば安全に扱える距離であったはずです。最初から決められていたのではなく、配慮して
感じることから出てきた結果の距離感が今に伝わっているのです。
「ゆったりと半畳に一人お座りください」と言われても、何も厳密に半畳に一人座るという意味では
ありません。人数が多ければ、つまり過ぎない距離でゆったりと坐ろうと考えることもその一つです。
広間で給仕をするときに取る客との距離感と、小間の場合は同じになる筈はないのです。
いつしか、引かれたソーシャルディスタンスの距離を守ることを良しとして、今の状況ではどのような
距離を保てばお互いに心地よく過ごせるのか、また安全に道具を扱うことができるのかという心を配る
こと、感じる力を弱めてしまっているように感じます。
コロナがおさまれば引かれたラインも減る筈です。今こそ、自分の中から人へ配慮する距離感を掴み、
そして自在に応用できるようにしたいものですね。
教場長 田中 仙融 (令和4年2月発行 会報「えんじゅ110号」掲載)