令和4年度の茶の湯文化学会大会では、「わび茶の生成 珠光から利休へ―珠光生誕600年、利休生誕500年―」をテーマにしたシンポジウムが開催され、私も登壇者の一人として参加いたしました。「史的利休像の射程と限界」と題した報告で、私が提案したかったことは、「自分が、何を利休にたずねたいのかを整理し、明確に意識しよう」ということです。
「利休にたずねる」と聞けば、映画化もされた山本兼一氏の歴史小説『利休にたずねよ』を思い浮かべられるかもしれません。その小説では、妻が利休に長年想いを秘めた人がいるのではないか、と問うことが、「利休にたずねよ」の主たる部分をなし、さらには、そこから派生した利休の美学をもたずねる構成になっていました。
『千利休「天下一」の茶人』を、小説ではなく、歴史学の学術書として書いた私は、自分が描き出した利休像にもの足りなさを感じました。そのもの足りなさは、茶のあり方の手本になる利休を求めた際に、歴史的に確実にいえるだろうと限定した利休像は十分に応えてくれていないということに帰着します。そこから、自分がいったい利休という存在を通じて何を求めているのか、という自分の問いかけを明確にすることが、大切だと気が付かされました。
天正時代に生きた利休はどんな人間だったのか、という関心の他に、江戸時代に編集されたことでも先人が選び抜いて利休のものとして伝えられるようになった茶人の逸話から自分の茶の手本を学びたい、という問いかけも立派な問いかけです。自分がどの問いかけを選ぶかは、「利休にたずねる」わけにはいきません。自分で選んでから「利休にたずねる」ことになります。